Posterous theme by Cory Watilo

環境がかわって

4月から、入社した。

5月から、23歳になった。

 

学生の頃、何か特別なことがしたい、と思ったし、何か特別なことができる、と思っていた。

人と人とのつながりを大切にしたいだとか、幅広く柔軟な活動がしたいだとか、考えていた。

 

何故だか、それらは大学生活だけの特権であって、会社に入ったら違う、と思っていた。

「会社はつまらない、単調だ」という文言が、知らず知らず定着していたんだと思う。

 

実際会社に入って、思うのは、それは大きな勘違いということ。

 

特別だと思っていたことが特別ですらなく日常としてめまぐるしくおこなわれていて、

特別なことができるのではなく、やらなければならないのであり、

人と人とのつながりを大切にするのは必須で、むしろ最優先であって、

幅広く柔軟な活動ができなければ仕事は成立しない。

 

すべての行動に責任が生じていて、それは自分では到底負えないものだ、

ということだけが、人生初めての経験だ。

 

 

 

学生のころ出会った人たちは、「自由」を唱う人が多かった。

何にも属せず、時間を十二分に使い果たし、損得を抜いた勘定でものごとを動かす人たち。

それはそれでひとつの生き方だと思うし、独特の魅力がある。

 

けれど、責任の上に成立する自由を私は得たいと思うし、

それはとても価値あることだと、スタートラインにたって初めて感じる。

 

この環境でどれだけ成長できるかな。

どれだけ自由になれるだろう。

 

今までだって、手を抜いたつもりはないけど、

今まで以上に、挑戦することに決めた。

文化庁メディア芸術祭

第15回文化庁メディア芸術祭を観てきた。

昨年と比較して音環境がよくなり、展示会場そのものがこぢんまりとした印象。

そのぶんメディア芸術として取り扱う範囲も明確化したように感じた。

 

アート部門大賞の「Que voz feio」は人間が受け入れられる情報の限界を感じさせる作品。

ある情報がメディアを介することで変化するあらゆる可能性、言語の差、視野の限界などを詰め込んでいる。

 

優秀賞の「The Saddest Day of My Youth」も興味深かった。

事実は抽象化されることで、簡便化された輪郭がその事実の本当の感情を浮き彫りにする。

音だけが事実そのもので、ミニマルな色で構築された映像とのギャップが生じる。

 

漫画やアニメ部門は総括して、アナログとデジタルの融合が評価されていたように感じた。

職人技を手や指に備えたひとたちの肌を感じる作業が、デジタルでどのように処理されるか、

その処理方法が面白いものが多かった。

 

また、会場で取り上げられたものの中には放射能測定の技術や震災に関連するサービスもあった。

震災に関連することを目的として作品は選ばなかった、とウェブサイトで書いてあるが、

震災がメディアや芸術に与えた影響は少なからず大きい。あえて避ける必要もないと感じる。

 

 

ユーザーや観客の五感に対して積極的な作品が多くなったように感じる。

メディアを通ずることで生々しさ、リアル感、五感を増幅させるようなものが

評価につながっているようだ、と今年の芸術祭を見ていて感じた。

 

しかし一方でそれはやはり「リアル」ではなく、増幅されている感覚は一種の幻である。

大きな音に慣れた耳がどんどん鈍感になるように、

五感そのものも刺激を重ねて愚鈍になる日が来るだろうか。

 

メディア芸術は素直に「面白い」。

興味をそそられる。五感そのものの限界を感じさせてくれる。

この面白さが毎年更新されていった末にどうなるのか、また来年考えるのかもしれない。

2011→2012

今年は、人への感謝があふれた1年だった。

損得考えず、ただ相手や自分の言葉/興味/活動/感情と向き合った。

必要がなければ放っておくし、必要とされればそばに寄り添った。

そのために、自分自身がやりたいこと、できることを明確にした。

相手に媚びるのではなく、相手の言葉を鵜呑みにするのではなく、

一定の距離を持って接するためには、自分に自信がなければならないと知った。

私の中で自分も他人も同等で、同価値で、

純粋に目標に向かってアクションを起こしている命だと感じられるようになった。

そう感じて初めて、そのアクションの中で私を意識してくれる人に心から感謝するようになった。

他者の意識こそが、私を私として浮き上がらせているから。

活かしてくれてありがとう。

 

 

 

今年は、時間の定義が変わった1年だった。

目先の目標達成に急いて時間をぎゅうぎゅうに詰めて多忙にふるまっても、

それを「何故やるのか」を自覚できなければ何の意味もない。

今まで余暇を与えられなかったのは、自信がないからだった。

夢というのは、叶えるまでの過程が1番大切だ。

形の定まったTO DOとしての目標に向けて突っ走るより、

生き方、ものごし、長い時間で捉えたヴィジョンを目標にして歩いた方が、

回り道や寄り道、休憩を含めて、とても豊かな時間が過ごせる。

むしろ、その寄り道でどこを選ぶかに私の個性が出てくるから、

迷うのではなく、目標への方向性は定めた上でゆるゆるとお散歩することが、

1番大切な時間の使い方だと今は感じる。

 

 

 

 

そういう変化があって初めて、必要なのは自分自身の軸だけだ、と思う。

愛する人に対して執着しなくなった。

秀でた人に対して嫉妬しなくなった。

基本的には自分の生は自分が納得していればいい。

 

他人も一般論も、比較対象でも依存対象でもなくなった。

 

 

そんな1年を終えて、来年を迎える。

 

ただ、1日を大切にする。

その日そばにいた人に感謝する。

変化を意図的につくる必要はなくて、そのまま継続していく。

必要な変化は自然と訪れて、それも突如としてではなくゆっくりと変わっていって、

やがて実になって、振り返って初めて育ったと気付く。

 

そんな風に、来年を生きたい。

 

良いお年を。

今年お世話になった皆様、本当にありがとうございます。

 

 

 

 

緑子 - MIDORI-KO -

渋谷アップリンクにて「緑子 MIDORI-KO」を観てきた。

本作品は黒坂圭太監督の初長編映画。

色鉛筆ですべて描かれ、色を喪ったどこか懐かしい世界。

登場人物は皆、異形。話すテンポも違和感だらけ。

やたらと生々しい効果音に彩られ、たった数曲のサウンドトラックはどれも耳から離れないメロディばかり。

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実写映画では絶対に表現できない光のゆらめきや、

なめらかなデジタル・アニメーションでは逆に到達できないスピード感がある。

現実にも、架空にも起こらなかった化学反応が、黒坂監督ただひとりの手によって産み出された。

 

 

 

作品のコンセプトも考えさせられる。

【食べる】ということは生きるということ。

ただひたすら自分のための欲求で、他人を介入させない。

しかも、食べるもののほとんどは生きていたもの。

 

生きるものを食べることで自分が生きてもしかしたら誰かに食べられて誰かが生きるかもしれない。

ぐるぐるぐるぐる。

 

 

 

偶然にも私が観に行った日に黒坂監督がご来場し、お話もさせていただけた。

作品からは(良い意味で)想像もつかないくらい温和な方。

13年間の歳月を費やして創りあげた本作も、最初は1枚のイラストレーションだったそう。

たったひとつのイメージをふくらませてふくらませて描いて描いて…そんなひたむきさが、全身からにじみでている方でした。

「サインだけじゃなんなんで、せっかくですから、好きなキャラクターでも…」

と、お忙しい中なのにイラストつきのサインもして下さった。

「とても小さなプロダクションなので、なかなか宣伝もできなくて。少しずつ口コミで広がっていったら良いなと思っています。」

と仰っていました。

内容も、表現も逸品…ぜひ皆様に観て欲しい。

心から監督を応援しています。

 

 

 

 

この映画を観たあとの食事は、実に美味しくて味わい深い。じゅるり。

 

 

 

上映情報はこちら

 

AVANTGARDE

数日前からオープンしたという『アヴァンギャルド』に偶然出逢った。

原宿のファッションストリートでも目を引く奇抜なドット柄のタイツで彩られたマネキンが目印。

地下に降りる。

 

 

アヴァンギャルドでは個性的なパターンのレッグウェアを中心に、一点物の衣装やクリエイターのアクセサリーなどを取り揃えている。

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タイツやストッキングは、購入時パッケージングされていると全体のイメージがつかめないという悩みがつきものだが、

この店ではサンプルがずらりと並んでいる上に試着も可能。派手タイツ好きには嬉しい。

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アメリカンコミック風のミッキー、宇宙、南国の夕暮れ、ポップな雨模様、敷き詰められた宝石…他ではなかなか出逢えない柄たちは見ているだけで飽きない。

足にタトゥーを入れたように見えたり、銃を装着しているように見えるだまし絵のようなストッキングも。

形が個性的なレギンスやソックスもあり、レッグウォーマーなど一部のアイテムはお買い得なセット買いも可能。

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こんなに『買いやすい』レッグウェアのお店には初めて出逢った。

 

ショップスタッフのお一人は札幌で古着屋を続けていた方。偶然にも知っているお店の方だったので驚き。

とても気さくな方で、店内の説明を丁寧にしてくださった。わたしのお気に入りのファーの靴も褒めていただけてしあわせ♥

 

商品だけでなく、スタッフの方の人柄も魅力的。

オープン祝いの花が、店の前だけでなく店内にもあふれていた。

多くの人に愛され、望まれて開いた店ということが手にとるように伝わる。

 

 

まだまだ届いていないアイテムもあるとのことで、品揃えはさらに充実するらしい。

今後に大期待。おしゃれさん、タイツ好きさん、足先まで気が抜けない方、に激推しのお店。

ぜひ店に足を運んで実際の生地の薄さや色合いを楽しみながら吟味していただきたいけれど、オンラインショップもあります。

http://dls-showroom.com/

 

以上激しく激しくおすすめでした。

http://avantgardejapan.com/

 

 

 

京都にて

京都に3日間の旅。

今回の旅は乾さんとあおいさんの二人にナビゲートを頼み、私はふたりに甘えに甘えて京都の空気に身を任せた。

もともと学生団体での活動を通じて知り合った乾さんと、Twitterを通じてともだちになったあおいさん。

 

二人とも京都でそれぞれの目標をもち熱意を持って活動しており、その活動の延長線で京都を越えた多くのひとたちとの繋がりを大切にしている。

そんなわけで、同じ時間を長く共有しているわけではない私を、二人は屈託なく、まるで昔からの親友のように歓迎してくれた。

 

台風が過ぎ去った京都は涼しく、空は澄んでいた。

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電車やバスの路線が複雑に絡みあう京都は、この街をうまく渡り歩けるのは玄人だけだよ、と微笑んでいるよう。

そんな中を乾さんはなんてことない、というように案内し、繁華街は勿論、少し離れた嵐山まですっきりと運んでくれた。

おすすめのお店でおばんざいをいただいたり、ちょいと足湯につかったり。

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地元の人でなければ知らないような楽しみ方を教えてくれた。

 

夜はふたりそれぞれの住むおうちに一日ずつ宿泊させていただいた。

絶品の手作り料理などをいただきながらお酒を楽しむ。

まったく違うタイムラインを、まったく違う場所で生きてきたのに、

あおいさんはまるで双子みたいに考え方や過去がかぶる。

同い年で、一生懸命で、素直で、まだまだこれから。

迷うこともたくさんあるし、反省することなんて数え切れないけれど、自信もたなきゃね。

普段はうまく言葉にできないこともすべて共有できて、ともだちって時間じゃないのかも、と思った。

あおいさんは、人を安心させる優しさがある。本当に素敵なひと。

 

京都で意欲的に活動するひとたちとも顔をあわせられた。

乾さんいわく「鴨川の番人」の田中さんは、

時間をつくってともに活動する3人と一緒にいらしてくれた。

快晴の鴨川でビールと唐揚げとおしゃべり。

わずかな時間だけれど、みんな「楽しく」自分の時間を創っているひとばかりだと感じた。

 

乾さんが開店当初から深く関わる素敵なおみせ、「かぜのね」では、

偶然に乾さんやあおいさんのお知り合いに出会う機会も。

彼らはまさにこれから、京都でなんかやったろう、という打ち合わせをしていたところ。

東京から持ってきたというフリーペーパーの山を前に、

「かぜのね」の2Fにつくったばかりの事務所で楽しく座談。

その日に購入してきたという事務所に横たわるまったりした黒猫のぬいぐるみに、

あおいさんと私で「エヂソン」と命名。

そのあと「かぜのね」の美味しい夕飯をいただく。

私とあおいさんの激アツ学生トークを暖かく見守って下さったおふたり(と乾さん)、ありがとうございました。

 

また、乾さんとあおいさんが活動するC-Media.Labの会にも突然ながらおじゃまさせていただいた。

ふしみんを拠点にソーシャルネットワークの可能性を考えていきたい、というみなさん。

それぞれの活動を報告しあい、UstreamやFaceBookをいかに使いこなすか、いかに自分たちの活動に結びつけていくかを考える。

活動報告は人の魅力がキーポイントになっていたように思う。

中でも、西尾さんはインタビューを通じて魅力的に組織や地域を魅せる達人。

のちに日本酒をご一緒させていただいた時に、

あおいさんと私にも極秘(笑)インタビューをして下さった。

 

質問し、答える、のコール&レスポンスの繰り返し。

考えてみればウェブ上でも、対面しているときでも、1番大切なのは相手の声を聴くことかもしれない。

 

京都はひとの彩りがほんとうに綺麗。

そして時間の流れが誰にも急かされていない。

歴史がいろんなところにとけこんでいて、だからこそかけがえない今が浮き出す。

 

 

 

下鴨神社の木々のトンネルを抜けながら、あおいさんは

「ここの木々はひとを歓迎しているから、あたたかい。この神社や京都にひとが集まるのは、自然なことだと思う」

と笑顔で話してくれた。

久しぶりにひとから出てくる幸福感で涙が出そうになった。

 

京都にまた行きたい、というよりまた帰りたい、と思う。

「いつでも帰っておいで」と言って下さった乾さん、あおいさんに感謝しつつ。

 

東京での日々にこの3日間で得たきもちや経験を反映していきたいと思う。

一緒に時間を過ごしてくださったみなさん、本当に、本当に、ありがとうございました。

 

 

*Thanks*

 

乾さん ー Twitter

あおいちゃん ー Twitter

 

鴨川で出逢った皆様

田中裕也さん ー Twitter

いいかわゆきこさん ー Twitter

えのもとななこさん ー Twitter

たかだしょうへいさん ー Twitter

 

かぜのね」で出逢ったお二人

田中冬一郎さん ー Twitter

嵯峨雅彦さん ー Twitter

 

C-Media Lab.でお話できた皆様

矢杉直也さん ー Twitter

西尾直樹さん ー Twitter

正木隆之さん ー Twitter

田名後さん

 

 

サヴァイヴィングライフ&魔術★錬金術

「サヴァイヴィング・ライフ〜夢は第二の人生〜」と「魔術★錬金術」を同日に見てきた。いよいよヤン・シュヴァンクマイエルづいてきて自分でも若干不安が走る。

 

「サヴァイビング・ライフ〜夢は第二の人生〜」は、写真のコラージュと実写を巧みに混ぜあわせた意欲的な作品である。この手法自体が本編のコンセプトである「夢と現実の境界線とは?」という問いに直結しており、現実ではありえない組み合わせによって生み出されたコラージュによる奇形児がぎこちなく動くのが「夢」かとおもいきや、異様な世界は当然のごとく現実の世界にとろけだし、徐々に作品の全体が架空の世界に落ちていく。

物語は、フロイトやユングの夢分析を引用しつつ、主人公の「夢」が何を示唆するのかを解き明かしていく。しかし、決してサスペンスというわけではないのでそのトリック自体が面白いわけではなく、むしろその答えが、おそらくこの作品のみが出す答えではなく、人間が誰しも選ぶ可能性のある答えなだけに、じわじわとひきつり笑いを誘う。「精神分析コメディ」とヤン・シュヴァンクマイエルは本編をカテゴライズしているが、冒頭で彼は真顔で「特に笑えるわけではない。むしろ作ってる自分もあまり笑えなかった。」と観客に言う。

では、ヤン・シュヴァンクマイエルは何をもってコメディと言っているのだろう。私は、この作品は痛烈で、美しい心理のパロディだと感じた。パロディは元ネタがわからないと笑えないが、この作品の元ネタは私達が共通して持っている心の底、もはや無意識にすらなっている、底の底だ。終わったあとにじわじわ笑えるのは、無意識に沈ませていた滑稽なわたし自身が、作品によって思い出されるからだと思う。

そんな、なんともいえない後味の悪い(良い意味で)笑いを体感したい方は、ぜひぜひ劇場にて。

 

上映情報はこちら

 

 

「魔術★錬金術」はヤン・シュヴァンクマイエル、上原木呂、マックス・エルンストの作品を集めた展覧会だ。三人の共通点はシュルレアリストであることと、超現実を表現するために「異種の交配」を選んだこと。ここでのヤン・シュヴァンクマイエルの作品は、現在原宿ラフォーレでおこなわれているヤン・シュヴァンクマイエル展よりも初期の作品や、小品である。自身のスタイルを模索していた時代のヤン・シュヴァンクマイエルが何に興味をもち、どんな視点を持っていたかが手にとるように伝わってくる。特に面白かったのは、地図や風景写真にイキモノ(相当生々しいもの)の形を見つけ、それを浮き彫りにする作品。だまし絵のような面白さはもちろんだが、こういった全く関連性のないイメージに対して別のイメージを重ね合わせる感性が、現在のコラージュや作品につながってくるなあ、と感心するものが多かった。

また、ヤン・シュヴァンクマイエル目的で行ったのだが、上原木呂の作品との出逢いも大変貴重だった。グロテスクなイメージを浮世絵や昭和風のイラストにコラージュしていく上原の作品の色彩や生々しさには、ヤン・シュヴァンクマイエルと近しいものがある。また、キャンバスにあふれるほどのシマウマを変形させたり重ねあわせた連作は、柄の持つ力を再認識させられた。展覧会場内で公開作品制作がおこなわれており、制作途中を拝見させていただいたが、これまた面白いものが生まれそう。彼の絵画がそのままステージとして浮かび上がったような空間が広がっていました。

興味のある方はぜひ。ちなみに閲覧後のミュージアムショップでの関連書籍も充実していました。ヤン・シュヴァンクマイエルの原版ポスターが欲しかったのだけれどまさかの完売…無くなる前にレアものはゲットしておいた方がいいかも!!

 

展覧会情報はこちら

 

Cigar Rips No.1

9/9に3331 Arts ChiyodaにてCigar Ripsの公開活動1回目が開催された。

Cigar Ripsはペインター・Yuki Taguchiと映像作家・Rio Oguchiのユニット。

半透明のスクリーンを通して対面する形で、流れるVJの軌跡を筆が追う。

「動画」と「描画」は時間という価値観の上で同じキャンバスには相容れない。

その壁に挑戦すること、まだ見ない形を模索すること。

それがCigar Ripsの魅力的なところだ。

 

第1回目は「POP」をテーマに、ディズニーをモチーフにしたVJを中心に作品を構成。

重なりあうどこかで見たモチーフたちは、途絶えて消えた動きのアーカイヴィング。

時に志半ばで終わり、時に違う形相をしながら、1枚の図面の上で新しい『何か』に変化する。

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一方で、初めて人の目に触れることで『時間』の捉え方が二人のあいだで変わったようでもあった。

音楽、空間、人の微妙なニュアンスが、たった『今』を変えていくことを感じる機会となった。

 

「この活動は二人にとっての『リハビリ』だ」と大口は語ってくれた。

描くこと、撮ることはどちらも自身の内面と向き合いながら外へと進むための手段だ。

自分自身がどんな形になっていくかがわからないからこそ、続ける意味がある。

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今後も音楽/プロモートの面で私もメンバーとして二人を心から支えたい。

次回の公開日は9/19。3331 Arts Chiyodaにて。

二人の軌跡を観たい方は、ぜひおいでください。

 

Cigar Rips Official Web Site

BeautiK

ラフォーレ原宿にオープンしたBeautiKに、偶然8/25オープン当日に足を運べた。

一言で『ビューティーブティック』とカテゴライズして良いか迷うくらい豊富な品揃え。

ドイツのネイル、イタリアのアロマキャンドル、モロッコのピロースプレー、レディ・ガガも手がけるデザイナーのグローブ…

それらをこだわり抜いて世界中からセレクトしていらっしゃるメイクアップアーティストのKaori.Kさんが、

丁寧にひとつひとつの商品について説明して下さった。

 

「他にはない」ことを賞賛することはいくらでもできるが、

それ以上に「使用するひとのからだのことが考えられた製品であること」や「製品につくった人の思想がにじみ出ていること」の方が感激する。

 

店頭ではネイルを実際に試させていただけたり、メイクアップサービスもなさっているそうだ。

ラフォーレ原宿1.5Fの激推しショップ、ぜひ皆様も足をお運びあれ。

 

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ちなみに私もネイルを試させていただいた。9月発売のフォレストグリーンのネイル、発色がとても良くて秋にぴったり。

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一目惚れしてゲットしたフランス、サヴォワ地方からの蜂蜜キャンドル。

蜂の巣を模したロール型のキャンドルの中に、蜜のようにとけた蝋が落ちる大変綺麗な逸品。

香りも優しい甘さで大変気に入りました。

 

 

長い時間おつきあいくださったKaori.Kさんと店員さんに感謝。また行きます。

ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展 〜映画とその周辺〜

ずいぶん前になるけれど、8/21に【ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展 〜映画とその周辺〜】を観てきた。

 

ヤン・シュヴァンクマイエルは日本では映画監督としての顔の方が知られていると思う。

映像に光る独特の世界観を『複雑怪奇』『奇妙なエロス』など端的に表現するのをよく見かけるが、

彼は映画監督である以前にひとりのシュルレアリストだ。

今回展示には映画に用いられた小道具や舞台はもちろん、その『周辺』としてオブジェや版画、コラージュ作品も取り扱われている。

それらをつくる過程で彼が重要視した「触覚」などに対する思想も丁寧に解説されている。

また、彼の生涯の伴侶であるエヴァ・シュヴァンクマイエロヴァーの絵画作品も多数展示されており、

ヤンとエヴァの世界観や執着したものの融合が映像作品に流れ込んでいることが手にとるようにわかる。

 

映像は単なる手法のひとつに過ぎなかった、とヤンは振り返る。

確かに彼の映画に出てくる登場人物の台詞は何かに憑かれたような強さと匂いを持って観る人を強迫するし、

当然映像なので作品は動的なのだが、一方でひとつひとつが切り取られた絵画のように見えることもあれば、

版画のできる過程を見せられているような気になることもあり、

時にはぬめったイキモノに触っているかのような生々しさに吐き気を催すこともある。

 

特に彼が以前から用いる手法、コラージュ。

最新作『サヴァイヴィング ライフ -夢は第二の人生-』ではより強烈に押し出されるようだ。

さまざまな、何の関連性もなかった多くの像を解剖し、また縫いあわせて全く別の異形に作り変える。

それは暴力的で、対象の意味の完全なる否定にもなる。

しかし、そこで生まれる新しい意味があり、無数のモチーフは新しい像として立ち上がる。

ヤンはその危うい魅力をよく理解しており、作品としてコラージュを昇華している。

改造としてのコラージュを突き詰めた作品として、最新作も期待している。